私は「才能は平等」だと思います。
日本語を操るのにもレヴェルがあります。文学者のレヴェルと
小学生のレヴェルを比較するにも程度が違いますが日本語には
変わりありません。
小学生と会話できる大人の外人、なかなかいないでしょう。音楽の文
法も同様だと思います。幼児期の音楽言語環境の違いでレヴェル
は生まれると思います。音楽心理学の分野では子供の演奏技術が
伸びるポイントは2ケ所あるとされていて、6〜7才と12〜
13才。前の方は好奇心、後の方は自らのモチベーション。後の
方では知らない曲を弾いてみよう等モチベーションが生まれても実行す
る読譜力がないと達成感が満たされずテンションが下がって行く
ことは目に見えているでしょう。読譜力まで自力で付けられれば
それは天才でしょうが・・。でも、そんな子供は多くはいないと
思います。
日本語をへたでも子供たちがしゃべることができる力はたいした
ものだと思うのです。親がどのように教育的に子供と関われ
るのかでレヴェルの差が生まれてくるのではないでしょうか。
だから、どこにいても力がある子は親の教育力があれば育つと
感じたのです。(「愛に生きる」は読みました)
 私はその奏法の違いに一番の問題があると感じているのですが・・。
 奏法の違いは語ってくれそうな人いそうなのにいませんね。それを
語った方が実になるのでは。
親の会というのも子供のモチベーションを逆刺激しそうで・・本当に
カキコ通りなんですか?