なんでこう、お互い相手の発言を、スズキは、(絶対)楽譜は読まない、
非スズキは、(絶対)CDは聴かない、という受け取り方をするのかなー。
スズキは傾向として、そのような問題を抱えており、
それが実際に問題ある場合という一面について話している。それ以上でもそれ以下でもないが。
それを、スズキは楽譜が読めない、スズキに限ったことではないでは話にならない。

「楽譜が読めた(つもり)でも全然間違っていてヘタだったら」

 以上条件。その条件が適用できる場合に限り、以下の結果が成立する。

「何の意味もないだろう。」

こうやって、一面的に自分の意見を成立させる条件付けを行い、
相手が言っていることが絶対正しくないから、絶対スズキはダメだといっている
アンチは間違っているとする。

絶対正しいとか間違っているとかはなく、それが現実的であるかどうかは別として、
その根拠において一面的に正しい、一面的に間違っているといえる。

ここでは、スズキの問題点について話していると思うが、
スズキの良い点、非スズキの問題点を提示することが、スズキの相対的な
位置付けに意味があるとしても、そういう話をしているのでも
スズキの問題点が解消されるわけでなく論点をずらしているだけ。
あくまでもスズキの問題点についての話だ。
良い点について話したければ、別に話せばよい。

確かに、254はスズキの問題点にも言及しているが、批判に対する反応見ると、
単なる予防線でしかないな。
批判自体が目的の批判が多いので、それに実態を埋もれさせるのは容易だろうな。

あと、スズキの宗教性の強さについては自明なので、ここで触れる意味無し。