1氏はつまるところ「ジャンル」という恣意的な枠組によって結果論的に各々
の枠組の中で共有されることになる「様式美」とでも言うべきものに対する愛
情のあまり、お粗末な言葉遊びを繰り返しているようにしか思えない。

自身が予め質が低いと考える類の音楽に「なりきりポップス」といったカテゴ
リーを与え、それを「質が低い」と声高に主張するのもいささか循環論法的で
あるし、「本物=クラシック」論も結局のところ、「本物」などという実に客
観的なクライテリアの不明瞭なものを以ってして、「クラシック」なるものに
無理矢理ダイナミズムを持ち込むことで、制度としての「クラシック」の延命
を図ろうとしているに過ぎない感がある。

>クラシック音楽のコマーシャリズムはさておき、演奏する側/聴く側双方に幼児性を感じることがままある。
>ジャンルの壁の破壊はジャンル自体の破壊につながってはいないか。
>クラシック音楽の質の多様化=荒廃を心配する。

1氏は>>54で上のように述べているが、或るものと或るものの差異が消失すれ
ば、各々の概念が成立する前提も自ずから消失するのと同様に、「ジャンルの
壁の破壊」が「ジャンル自体の破壊」に繋がるのは当然の帰結。しかし、ここ
で注意しなければならないのは、「ジャンル自体の崩壊」によって導かれ得る
のは、あくまでも「クラシック」や「ジャズ」といった「ジャンル自体の崩壊」
であって、決して「クラシック音楽の質の多様化」とはならないということ。

また、ジャンルとしての「クラシック」や「ジャズ」の崩壊が、”即ち”「音
楽」の「荒廃」を意味するわけでもなければ、(コマーシャリズムの影響を別
とするなら)「クラシック」や「ジャズ」として成立し得ていた音楽の消失を
意味するわけでもない。

もし仮にここで「ジャンルの崩壊」が真に「音楽の荒廃」を招くとするならば、
質の高い音楽が成立する条件として「ジャンルの存在」が不可欠であるとしな
ければならないが、その論拠を明示して欲しい。