文学 fegkhji 「名作の吟味」許 光俊
                                                      
「これが文学!」というものは、ない。というより、決めるのは危ない。これを決めてしまうと、どこかのダメ作家
のように、小説の書き方を大学で教えましょう、ということになる。
あるのは、個々の作品だけ。そして、それを文学として読む(読める)読者だけ。
この時間では、文学といっても、詩、戯曲、評論は含めず、小説だけに対象を限る。あまり欲張ってもいいことはな
いからだ。そして前期は日本の小説、後期は外国の小説から名作(正確には、私の精神を刺激する作品)を選んで、私
の読みを示す。
文学を読むというのは、「これは白樺派」「これは作者の自伝的要素が強い」という、〈説明〉とは本当は関係ない。
自分とテクストのスリリングでエロティックな交合である。世の中にはいろいろ文学理論なるものがあってそれはそれ
でおもしろいが、一番大事なのは、感受性と読解力だ。理論や知識は、わからない人がわかった気になるためのものと
すら言ってよいし、情報を整理するための道具にすぎない。
もちろん、作品を知らないで授業だけ聴いても意味がない。というより本末転倒だ。よって、毎回授業のテーマとな
る作品をあらかじめ読んでくることが義務である。厳しい。
評価はテストで決める。
また、授業中に飲み物を飲まなくてもよいよう、あらかじめ十分に水分を取ること。眠くならないよう、睡眠も十分
取ること。携帯電話のスイッチは切り、メイルも使わないこと。板書しないこともノートに取ること。あと、教室では、
前から着席すること。前にすわりたくない者は来ないように。体育会の試合やサークルの演奏会などによる欠席はいっ
さい考慮しない。

http://www.hc.keio.ac.jp/jukusei/gakuji/kougiyoukou/2002/kougiyoukou2002.pdf