>楽譜の読めない音楽評論家は、何を基準にして演奏家を批評するのだろう。
O許光俊に楽譜が読めないとして、それはなんでもありません。
 砂川しげひさも読めないんです。でもピアノは20年前に音大生に習いました。
 許光俊は、自分の粗末な感受性を基準にして演奏家を批評します。
 これに賛同するものは、許と同じく粗末なだけです。

>作曲家の言いたかったことは楽譜から読み取るしかないのに。
O何様でもこれ様でも、作曲家の考えは楽譜だけが教えてくれます。
 伝記だのゴシップだのは、クラオタは好きかもしれませんが、決定的じゃあありません。
 もちろん、許なんぞの粗末な人生論や個人的経験なんぞ、音楽批評には論外です。
 そのうえ、どんな演奏にも、指揮者や演奏家の感受性が混じります。
 混じるというか、大半は勝手な都合によって、楽譜に書かれたものを歪めます。
 何様でもこれ様でも、CDを何千枚と集めようが、
 楽譜を基準にするという労力を厭うクラオタは、許なんぞの粗末さを真似ることしかできません。

>誰かが書いてたけど、音楽の大衆化極まれりってことなのかな。
O戦後、教育の大衆化によって、大学とも言えぬような大学がたくさん増えて、
 大学生の学士様の価値が下落したのは周知の事実です。
 東大生も、大東文化大生も、同じ学士様。
 吉田秀和も、許光俊も、同じ音楽評論家。
 私も、あなたも、同じ音楽愛好者。
 ひとくくりにされて、見えなくなるものは、耳の実質ですな。