満州事変以前から、満州地方に駐留する日本の関東軍の暴走が、軍中央部で
問題になっていました。
文献でも分かる通りですが、軍中央部は関東軍に対して何度も警告を発しています。
しかし、陸軍大臣も存在していた当時の内閣は、満州事変にあたっての事後の緊急予算の
計上をしてしまいます。
これは非常に奇妙なことです。一方では軍の暴走を戒め、一方ではそれを支援する金銭的な
工面をしているからです。
何故、このような経緯が生まれたかというと、フランスやイギリスは、満州事変以後の満州国の
立国を容認したからです。その時、アメリカは『黙認』しています。
しかし、国際連盟によるリットン調査団は、結果的にNOという報告を出しています。
これが教科書などでは強調される為に、ややこしくなるのですが、>>246で書いた通り、国際連盟
とは名ばかりで、当時はまだ大国による世界の運営の役割が強かったのです。
それらの大国が満州事変での日本の正当性を認めた為に、当時の日本の政府は、満州事変に
予算を計上するという事が出来たのです。
もう少し補足するならば、当時の資本主義陣営は極東でのソ連の力が大きくなる事を恐れたのでしょう。
日本をソ連の対抗勢力としてする為に、軍事的な重要な拠点である満州をソ連の手から一層切り離したのでしょうね。

ちなみに昭和天皇ご自身は、満州事変の話を聞き、「朕の軍が朕の命令無しで動くとは何事か」
と激高されたと記録に残っています。つまり、満州事変を昭和天皇自身は反乱と捉えていたのです。
後々の日米開戦時の経緯と併せて考察するには、昭和天皇ご自身は、勝てる戦争なら戦争も
辞さない、という意思を持っていたようです。
しかし、基本的には戦争を避けるように、何度も下賜されています。
これは非常に重要なポイントですね。