>>341
337について
  H.ブルクハウザーや O.シュトラッサーのウィーン・フィル物にも書かれてい
  ますが、ウィーン・フィルおよび国立歌劇場の主要メンバーは、第1次大戦
  後の楽団および劇場の経済的危機を打破するという名目もあって、1922年
  と1923年のオフシーズン(7〜8月)を挟んで、非常に実入りのよい南米ブラ
  ジルへの大巡業に出たのです。ワインガルトナーに率いられた第1回の巡
  業はさしたる事件もなく、楽団員の好奇心も満たされ、収入的にも好成績で
  大成功だったのですが、R.シュトラウスに率いられた第2回の巡業では、事
  故や自殺やらで楽団員3名が死亡するという悲劇的な結果となりました。そ
  れ以後、大きなリスクを伴っての海外大巡業は中止となり、オフシーズンに
  欧州の周辺国を演奏旅行するという形になりました。そして、1924年と1925
  年はドイツの主要都市を巡る演奏旅行が行われ、その指揮を務めたのがワ
  ルター(ただし1925年はクライバーとの分担)だったのです。なお、1925年は
  ワルターが初めてザルツブルク音楽祭に登場した年でもあり、上記のドイツ
  演奏旅行はやや早めの6月〜7月初旬に行われ、7月下旬からはワルター
  もオーケストラもザルツブルクに集結していました。
 339について
  1947年9月11と12日は、シューベルトの未完成とマーラーの大地の歌が演
  奏されました。なお繰り返して申しますが、テノール歌手の名前はピアーズ
  です。J・シュトラウスの3作品ほかが演奏されたのは、9月13日の特別演奏
  会のことで、他にハイドン、モーツァルト、シューベルトの作品が演奏されま
  した。詳しくは、セルヴィーニの伝記本第3巻の本文、および巻末の演奏会
  記録をご覧ください。