グスタフ・マーラー IV
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
アバドの演奏とはいえ、予想以上に音に厚みを増して鳴った。逆に濁ったり、ぼけて
聞える部分もあったが、既発の3、7番よりも一層ベルリンフィルの音色を響かせたように思えた。
臨場感もバーンスタイン盤の場合より明かに聴衆のざわめきをリアルに聴かせる。でも肝心の弦
の音は張りを失うようなので、こころみに、カラヤンのマラ9に入れ替えて聴いてみた。
私は息をのんだ。その音声の清澄さ、かがやき、音そのものが持つ気品。陰影の深さ。
まるで比較にならない。なんというカラヤンの(ベルリンフィルの)素晴らしさだろう。
私は一瞬、茫然とし、あらためてバーンスタインやラトル、ハイティンクを聴きなおし、私
は悟ったのである。アバドのマラ9の騒々しさや人工的な音の厚みとは、ふと音が止んだ
ときの静寂の深さが違うことを。言うなら、無音の清澄感にそれはまさっているし、音の鳴
らない静けさに気品がある。明かにカラヤン、バーンスタインやラトル、ハイティンクの演奏
は、今回のアバドのマラ9よりも深いのである。私は知った。これまでアバドの芸術の深化
を知るためにアバドの新盤を買ってきたつもりでいたが、なんのことはない、演奏芸術とし
て、過去の数々の演奏の足元にも及んでいないことを確認するために私は
このCDを買っていたのである。お恥ずかしい話だが、そう悟ったとき突然、涙がこぼれた。
私は間違っていないだろう。最終楽章で次第に音が消えた跡の、すぐれた演奏のもつ沈黙
の気高さよ、沈黙は余韻を曳き、いつまでも私の周りに残っている。そういう沈黙だけが
マラ9をマラ9たらしめているのであり、決してオケの音色がどうとかアンサンブルが揃って
いるとかいうことは問題にならない。マラ9演奏はここから始まるだろう。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています