鈴木雅明氏の《コープマン版マルコ受難曲》の批評は興味深い。

I教授も同じくdくんのマルコを評価しないと言う立場なのだけれど、
その理由としては、「バッハの受難曲の思想性、深さや厳しさ、諸要
素の関連といったもの」が「ぜんぜん考慮されていない」から、という
なんとも観念的、主観的、抽象的な説明で終わり。
その上「《マルコ受難曲》がもし残っていたとしたらら(ママ)、こんな
上っ調子なものではない」と断言し、dくんをバッハの「なりすまし」
と決めつけて「許せない」と激しく非難する。
これではdくんもCDを買ったバッハ・ファンも立つ瀬がない。

それに対して、鈴木氏はバッハがパロディを行う場合の原則を先ず説明し、
"Lass ihn kreuzigen!"の場面にBWV4からの引用をあてるなどはその原則を
はずれており、実際にはあり得ないと具体的に例を挙げて指摘する。
その上で、dくんは「バッハの弟子」になったつもりで復元しているのだ、
と説明するのだけど、これならファンとしても、なるほど不肖の弟子だなと
苦笑しつつも、dくんのバッハに対する子どものような愛情を楽しむことができる。

ある程度「権威」のある人がネガティブな批評を公にする場合には、
「コレは精神性がないからダメ」「アレは思想性がないからダメ」といった
観念的、主観的な批判で切り捨てるのではなく、専門家としての立場から
具体的な問題点の指摘を行って欲しいものだ。
鈴木氏の今度の本はそういった意味でも、読む価値があるなあと思った次第。