>>37
> それはコーホーはあながち間違っていない
> 第一回ルツェルン音楽祭の出演した後にモナコの市民権を取得しにモンテカルロに行っている
> で、フランス国籍を取得したのは、1938年9月18日のこと

このあたりの事情は、ワルターの自伝「主題と変奏」に詳しいね。1938年3月の
第3帝国によるオーストリア併合のあと間もなく、旧オーストリアで発行された
パスポートはすべて無効となったために(ワルターは1911年以来オーストリア国
籍)、彼の生活源というべき国境を超えての演奏旅行ができなくなった。それで、
有効なパスポートを得るというかなり実利的な理由から、ワルターはどこかの国
から至急に国籍提供を受けることを必要としていた。ワルター自身が最初に目を
つけたのがモナコで、この小国に自分の影響力でルツェルンのような新たな音楽
祭を根付かせ、その「謝礼」として国籍(=パスポート)を得ようと考えていた。
しかしこの計画は、代理人である弁護士の仕事延滞のせいで、ワルターの期待通
り進行せず、結局あきらめてフランスに国籍の申請を行い、9月のイギリス演奏
旅行の直前に、フランス国籍のパスポートが交付されるという話だったね。

コーホー氏は、以上の内容をあいまいな記憶で例の本に書いたのでは?