当局にとってはモスクワ派が絶対的存在であって、レニングラード派がリスペクトされるのは危険視されていた。
しかも、フルシチョフのスターリン批判以後、個人崇拝にはナーバスになっていて、ムラヴィンスキーの様な人気
の出方は市場経済下では受けいられるのですが、当時のソヴィエト当局(=クレムリン)は相当ムラヴィンスキー
に対する風あたりを強くしていたのです。
つまり、貴重な外貨を稼ぐのはレニングラードのアーチストではなく、モスクワのアーチストでなければならなかった
のです。そこまで当局は官僚主義的であり、どうしようもなく腐敗していたということなのです。
そう考えれば、スヴェトラーノフがアレだけの量の録音を集中的に残した事の説明にもなりますからね。