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ザルツブルク・イースター音楽祭の主 カラヤンが亡くなり、
音楽監督をショルティが引き継いだ。
しかし、ベルリン・フィルの音楽監督にはアバドが就任。
ショルティはかつてアバドにシカゴ響の後任を託すつもりだったが、
アバドがウィーン国立歌劇場に転進してしまったので、
アバドには少なからぬシコリがあった。
イースターの音楽監督は、アバドがショルティの後を引き継ぐのが
誰の目にも明らかだったが、ショルティはこのポストに固執した。
オペラとコンサートを二人で分担するという妥協案を
ショルティはアバドに打診したが、アバドはこれを無視し音楽監督に就任。
このことを根に持ったショルティが、自らの伝記において、
アバド批判をぶちまけた。