>>183さん(マジレス(w)ありがとうございます)
彼の民謡研究は、純粋な音楽学としてと、作曲家としての両方で
しかもカラパチア盆地の各民族を超えてトルコ、アラブ、北アフリカまで
及んでいます。そういった意味で183さんの意見もわかります。
独墺音楽という面では、あの当時のハンガリーは、ドイツ語が普通に
通じるくらい、文化面では全面的にドイツ・オーストリア圏でした。
またピアニストとしてのバルトークは、ドビュッシー作品を好んで
演奏していました。当時のフランスの演奏家より積極的に演奏した
と思います。新しい音楽を作る上で、手法などに関して影響をうけた
可能性が大きいです。
私が言いたいのは、もうオリジナルのかけらさえ見当たらなくても
ハンガリー人だったから出来上がった音楽であり、音楽の土台、
リズムとかね、言葉なんですよ。
ルーマニアやブルガリアやアラブの要素を使った部分でも、
ハンガリー人のバルトークのフィルターを通っているではないかと。
(まとまりのない文章ですいません)
ちょっと話が飛びますが、バルトークは理想的な愛国者です。
ナショナリストでありながら、近隣の他民族とも仲良くすべきだと、
考えていて、これは民族音楽の収集を広く行って、異民族間で影響を
与え合ってることを発見したことも、理由の一つだと思います。