>>146 3行目は理解できます。

しかし、「シンパをつくって闘う芸術」と言える程に、宇野の音楽「評論」が
「芸」の域に達していたかというと、かなり疑問です。

>>136さんが評価された吉田のように、そこに思考の筋道がうかがえる
文章の彫琢があったかと言えば、宇野の場合は?です。むしろ思考の
怠惰を示すような紋切り型が支配しており、容易にパスティーシュの対
象になっていますよね。吉田の場合、文体を真似しても(←それはある
程度可能)吉田になれませんが、宇野ならば文体を真似すれば即座に
コーホーになることが可能です。

あるいは批評性が確保されていたかと問えば、こちらも危ういです。
例えば80年代前半でもアンチカラヤン、ポリーニの勢力は小さくなかっ
たと記憶しています。そこに芸術や批評と言えるような新鮮な創造性、
あるいは精神の働きをみつけることは難しいのではないでしょうか。