ドイツ語できる人、Berliner Zeitungのこの訳、正しいの?

>アバドの指揮の人を引きつけてやまない流れは、昨秋のベルリンでの演奏会公演の際に準備ができていた。シュタインの静止状態との矛盾を感じ
るかも知れない。アバドの指揮はこの上なく美しく、ハーモニーの時間的ポテンシャルを感じ取ることが保証されている。その指揮は音楽との一体化
ではなく、音楽そのものとなる。それは水をさされた判断への抵抗であるかのように反主体的なもので、シュタインの現実逃避的な至福の美学とちょ
うどよく合っている。オーケストラの演奏はときどき崇高なまでに高まり、痛切なほどに美しい。アバドはソフトで直接的でない音調を大切にし、音響創
造の物理学は秘密にされている。すべてのオーケストラのグループがずば抜けた演奏を成し遂げる。とりわけ強力なのは高音の弦楽器奏者である。
それゆえにも彼らはオーケストラの右側に座り、観客と正反対の方向で音響を響かせ、そこからビロードのような分散和音が空間に反響するのであ
る。

 音響の物理学をもってアバドはまさしく主体的に、力が要求するとおりの爆発を見合わせるのである。楽器の個別的な性格は止揚されたような印象
を与え、修辞上の感覚は表現されない。前奏曲ですでに完璧なもので、最初の歌い出しは2足の袋状の生物の喉の奥から発せられ、邪魔をしている
ような印象を与える。だから観客は格言の繰り返しを経験する。この舞台神聖祝祭劇はワーグナーの最後の劇場作品で、単なるオペラ以上であるこ
と欲したものである。「オペラ」はまずもって「パルジファル」となる。劇場風にめかしこんだドミナントの7度の和音を通じてクンドリの登場が予告され
る。

 アバドが全体的に優れた歌手をオーケストラの響きに編み込んだオペラ公演は非常に強い感銘を与える。1幕でのグルネマンツの語りにおいても、
2幕のクンドリーの語りにおいても。古いジャンルのオペラの真髄である響きの表現を構成する男女の全体的な対照のようにここでも主体は見えなく
なる。歌い手はオーケストラに吸収され、オーケストラの音響は聖杯の鐘の響きに吸収される。奇跡の終結の少し前に、偽りのない証明に神聖な騒
動の中で情景が沈む。その上に光り輝く黄色の中で音楽は永劫の罰を下すのである。