あー、早く入間から出たいよ。
>>719
学校レベル如何を語るには、その基準の観念を明確にしないとね。
一般的には「母集団」なるものが基準として想定されることになります。
つまり、「全学生の平均的な実力如何(学年平均点)」ですね。
入学レベルや業績達成レベルについて、難しい・高いと言われる場合、
上述した意味での「平均的なモノ」の示す高さで判断されるわけです。
これが一般の大学の場合、標準偏差として客観的な基準で判断されるから
ある程度明確ではあるけれど(でも、元となる標準偏差の値は恣意的に決定
されるので、幾分主観的な要素が加味されたものであることは払拭できず)。

音大の場合は、実技を計る場合、客観的な判断には馴染まない基準によること
になるから、「レベルの高さ」の評定を下す基準をどうするかという問題
、つまり「何をもってレベルが高いか」ということを言うのが難しいね。
その「何を」が外在的に決められるのか、決定者にバランス感覚も知性が
求められるところだね。
その上、武蔵野の場合は、実力の差が激しいから、既述の趣旨の「画一的な
評定」をするための前提さえ欠くことになる。
だから、論理的に考えてみると、一絡げに「武蔵野のレベルは・・」って
言ってしまうのは、特に間違の度合いが高いと言えるよね。

よく友達とも語ることがあるけれど、結論的には、こういうスジの論議に
収束することがあるかな。
友達によっては、背理法の論理構造で、かなりアクロバットで過激な結論
を導き出すけど、それもちょっと行き過ぎかなとは思う(^^)/