直純の親も山本直忠という指揮者で、群馬交響楽団の初代常任指揮者だった。
その祖先は山本直良という実業家で、明治の中頃軽井沢に「三笠ハウス」(軽井沢の鹿鳴館といわれた)を
建てるなど、財界の大物だった。

1971年日本フィルが解散・分裂の危機に陥ったときに、”小澤の親友”(フレンドオブセイジではない 藁)
ということで、黒幕として新日本フィル設立のための団員の多数派工作を行なった。
その後、日本フィルとは渡辺暁雄の楽団葬で和解するまで、日本フィルとは絶縁状態に
あった。

>>5 無免許運転ではなくて、交通事故では?
それが原因で、芸能界から干されたようだ。
長門裕之の芸能界暴露本「洋子へ」の中に、そのあたりの記述あり。
N響定期客演が決まっていたかどうかは、漏れは知らないが。

>>40 幼児期から絶対音感教育を受け、その聴音の能力はパーフェクトだったらしい。
岩城宏之「森のうた」にそのあたりの記述あり。
ただ、芸大時代のネタについては、山本の自著とは多少事実関係において
相違が見られる。


オーケストラ指揮者としては、棒のテクニックは最高であり、オーソドックスな
作品をやれば、かなりの名演奏をすると思われるが、その機会がないのは残念。
しかし、何れにせよ、彼の最高傑作は「男はつらいよ」であることには間違いない。