>>152
確かに、第2ソナタそのものについてではなく、
もっと一般的に音楽に対する聴き方という意味で
書いてしまったようです。
ブーレーズなどにおける「様々な構造の聴取の可能性」
については、バッハ、モーツァルト
のようないわゆる「天才の霊感」によってでなく、
とりあえず誰にでも習得が開かれているセリーという理論・技術
によってこれを組織する、ということが作曲上の理念になっていると思います。
大抵の人間が天才の霊感をリアルタイムで辿りなおすことができない
のに対して、理屈によって表現された音楽は、言葉における論理と同様、
作曲家の手を離れた色々なレヴェルで議論(鑑賞)が可能になります。
話し言葉ではなく、書き言葉によるコミュニケーションが生じるわけです。

「架空の何かへの思考の拡散」については、曲の構成というより、
聴き手の主観的な立場で考えています。
独立した音を聞いただけで感じられるものと、
前後の文脈の中で現れるもの、
自分の中で想像された音楽の進行する空間内での音の組み合わせ、
これらに対する差異の感覚を漠然と架空の何かと表したわけです。


>>156
ブーレーズも言っているようですが、音楽は8割が主観なので、
感じるがままに聴けばよい、というのはいささか安易ではないでしょうか。
要は、その自分が感じる事をいかに制御し、他のものに変換するか、です。
思考や想像力の形式に対する批判性がないと、この手の音楽を聴くのは
我々一般人には無意味と思われます。