バッハ大好き☆★☆
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0059名無しの笛の踊り
02/04/13 16:03ID:qRBSXom.T書籍だったか、どこぞの出版物で読んだ内容ではありますが、確かにそんな
ところでしょう。
いずれにせよ、カントル採用以前についてのバッハの声楽作品の評については、慎重に
なるべきでしょう。私もヴォルフの論文だったかの受け売りですが、バッハが
実際にどのような音楽を書いていたのかをよく知っていたライプツィヒの当局者は、
採用試験以前はほとんどいなかったはずだ、とする説があります。
また、カントルになったバッハが当局に対する文書の中で、「今の教会音楽は、
以前のものとは大きく異なってしまったので、演奏陣の充実が必要」という内容を
書いていることについて、同じくヴォルフだったか、バッハが念頭に置いていた
「古い音楽」の中には、バッハ自身の初期のカンタータがあった、という説を
唱えています。
ただここで問題となってくるのは、やはりケーテン時代でしょう。かつて
ケーテン時代に書かれたとされた多くの器楽音楽の年代見直し論が高まっていますが、
教会音楽はあまり書く必要がなかったケーテン宮廷であれ、バッハがどのような
声楽音楽を書きうるのか、ということが、実は今では伝えられていない世俗音楽を
通じて、考えられている以上に広まっていた、ライプツィヒを含め他の地方でも
「知っている人は知っている」レベルにはあった、という可能性はあるかもしれません。
バッハがカントル試験で演奏したカンタータの22番と23番が、対照的な要素を
取り入れたものであるのも、その意図と背景をもっと知りたいところです。
とにかく、バッハの生涯で一番空白であるケーテン時代について、存在が確実視
されてきたという「仮説ヴァイマル受難曲」とあわせて、十分な資料が伝わっていない
ことがなんとも悔やまれるところです。
とりとめなく書いてきましたが、1725年以降、カンタータの筆が鈍ったのは、
当局との軋轢もさることながら、マタイ受難曲の構想をこのころから進めていたため
という説があることも添えておきます。
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