一九九八年一月末の夕刻。西本さんは、当時住んでいた平野区のマンションを出て、練習に向かった。本格デビューとなる関西歌劇団のオペラ公演を半月後に控えていた。

 背後からきたバイクに、右肩のバッグを引っ張られた。中に入れていたのは電話帳より分厚い楽譜。はずみで、体をねじるように倒れ込んだ。ひったくり損ねたバイクは猛スピードで逃げた。十六、七歳の少年二人が乗っていた。

 利き腕の右腕じん帯損傷。指揮者として致命的ともいえた。右手はまひして、歯ブラシも持てない。首と腰の骨がゆがみ、激痛が走った。

 十日ほどして練習を再開した。首や腰にコルセットを着け、つえをついて通った。いすに座り、右手にテーピングで固定したタクトを振る。首や腕がわずかしか動かせない。指揮者は全身を使い、もし音がずれても、一瞬の呼吸で引き戻す。それができなかった。

 「これが……限界です」。本番の四日前、歌手、オーケストラの約百人に告げ、降板を決めた。指揮者の責任を果たせなかったことが、身を切られるようにつらかった。

 リハビリに取り組んだ。右手の握力をつけるためゴルフボールを握り、箸(はし)で豆をつまんでは動かした。

 完治する保証はない。指揮者としてやっていけるのか、不安だった。ロシア留学時代の恩師イリヤ・ムーシン氏に判断してもらいたくて、五月、現地を訪ねた。

 「前よりよくなってるところもある。ひと振りのエネルギーが強くなっているよ」

 世界的巨匠の言葉。初めて道が開けたような気がした。