>>266
たとえば、ある音楽を聴いて「自分ならこうするのに」と考えることも
コンセプトを云々することになるわけで。

そういう意味では、コンセプトを思考することから、自由な音楽活動な
んて無い。「コンセプト」を「思想」やら「魂」やら「ぼくの好み」と
いった単語に置き換えても良いんです、この場合。

でも、「コンセプト倒れ」ってのが実際にあるのも確かなんだな。
それは、コンセプトを実践するだけの力量を持たない場合、
そもそも思考しているコンセプトが的ハズレな場合、
そういったことであって、コンセプトを思考することの良し悪しとは
別の段階にある話なんだと思う。

もう一つ
>>218 的なコンセプトについて。
確かに、作品があるコンセプトに貫かれて製作されていたからといって、
それを聴き手が感知しなくてはいかん、というものでもあるまい。
例えば、「変分法を使って最速降下線を計算する」コンセプトで作られ
たジェットコースターに乗る人達には、そのコンセプトを感知出来なく
ても単に楽しんでもらえば良いわけですよ。でも、その「コンセプト」
は客が感じる「楽しさ」と乖離しているわけじゃない。
数学赤点でもジェットコースターは楽しい。でも、その楽しさを演出す
る速度は数学的なコンセプトによって得られている。そういうのもアリ
なわけですよ。

で、思うに現代音楽のコンセプトなんて、皆そのようなもので。音楽学
者でもなく、演奏者でもない普通の聴衆は、「コンセプト」のことなど
意識せずに耳を傾けることだけに集中すれば良いと思うんですけどね。