筆者は、つい『猛毒!』というタイトルに惹かれて読んだが、実は単なる軽い読み物で、
猛毒と言えるのは、第1章「デッチ上げられた名器のはなし」と第2章「クラシックを堅苦しく
したのは誰だ!」の辺にあるのでないかと推測されている。そしていきなり、第2章での私の
ベートーヴェンへの嫌悪感が凄い、という風に話が跳んでしまい、第1章の「名器信仰」を
なぎ倒した私の論調は一切紹介されていない。私はヴァイオリニストでもあるので、ストラ
ディヴァリウス信仰を徹底的に血祭りに挙げたのだが、それにはあまり興味を持たれな
かったかもしれない。そして、第2章の私のベートーヴェン嫌悪をルサンチマンになぞらえ
(これは実は正解、ピンポン)、しかし、今やアナクロだと決めつけている。もう今どきベート
ーヴェンを信仰する奴なんかいない、という書きぶりなんだけど、この本(何人かの共著)
の他の項ではしっかりベートーヴェン信仰が語られている。

 そして、何よりもすさまじい私への勘違いは、「指揮者ってほんとにエライの?」の所で、
私が切り倒した指揮者や評論家に対する凄まじい誤読である。以下に引用する。

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 玉木氏は続ける。音楽における解釈なんてものはない。つまり、指揮者なんて誰がやって
も同じ、せいぜい「顔」としてリーダーを務める程度だ。また、批評は無意味だという意見
が開陳される。べつに批評の味方をするつもりは全くないのだが、まさに演奏家ならでは
のご意見に圧倒される(氏はヴァイオリニストでもある)。いわゆるプレーヤー根性って
やつだ。そして、こういう何もわかってない演奏家がクラシック音楽をつまらなくしている
のだとも思う。東洋の音楽について語っているのならいい、でも弁証法を根本原理にして
いる近代ヨーロッパの音楽に、この考えは適応しにくい。〈許光俊編著『クラシック、マジで
やばい話』青弓社より〉
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