続き


今時、このような古いタイプの演奏は流行らない。オケは分厚い響きを
作り、指揮者はコブシが入らんばかりの気合いの入れよう。音楽が
訴えかけてくる迫力は筆舌に尽くし難く、第1楽章の終わる頃には
完全に音楽の中に没入してしまう。全くオールドタイプの演奏である。

演奏している団体は歴史こそ古いようだが
(起源は1448年。2002年時点では533年の歴史を持つらしい)、
世界的なレベルでは第1級とは言い難い。しかし、演奏は立派だ。
団員が持てる能力のすべてを出し切っているような気がする。
たまに客演していただけのオケで、クレンペラーはなぜこれほどの
統率ができたのであろうか? 
技術はともかく、オーケストラが必死にクレンペラーの燃える棒に
ついていく様は、当時クレンペラーがしばしば指揮台に立っていた
フィルハーモニア管の場合と変わらないのである。
クレンペラーは一体どのような力で暗示をかけていたのだろうか?

どうも私はオールドタイプの演奏から離れられないらしい。
最近流行している比較的小編成による録音の良さを認めないではないが、
「だからどうした?」と言いたくなることがある。
プロの音楽家の目から見れば、
編成や奏法は重要なのかもしれないが、
私のような通常の聴き手においては、
どれだけの感動を得られるか、という点が最も重要なのではないか? 

クレンペラーという指揮者は現存しない。そのような指揮者の古い演奏をありがたがってばかりいても
仕方がないと思う。私は現代に生きる現代人なので、現代の演奏家をしっかりと聴き続けていきたい。しかし、音楽の持つ生命力や迫力はどうしてこうも違ってしまうのだろうか? 単なるノスタルジーとは言い切れない重要な問題が
どこかにあるのかもしれないと私は思う。いかがだろうか?