ポリーニは曲に対して“生きたイメージ”みたいなものを求めずに、
純粋に音の配置や重なりの美しさ・表現を見ていたのではないかと思います。
そういう価値観は現代音楽に対する好みにも通じる部分があるし。
内声を無視してるとか休符を読み違えているなどと言った批判が最近出てきてますが、
それは技術が追っつかなくなって表面化してきたということに過ぎないと思います。
また、ポリーニは昔から申し訳程度というか無理矢理といった感じの
ルバートをかけたりしてましたが、それも最近になってより表面化してきたと同時に
より凝縮した表現になってきていると思います。
こういう点から、「弾き飛ばしている」といった印象が生じるのではないかと思いますね。