クセナキス 一周忌
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NGNGはげしく同意。
確か‘84年に来日した時のレクチャーで、初期作品は、計算結果をそのまま五線譜に
出来たのは曲全体の一割にも満たず、後は「普通の」作曲家同様に感性で作曲して
仕上げたようなことをイアニス先生は自ら暴露されてましたな。
もっともその理由は、「当時のコンピューターが使い物にならなかった。」とか、
「計算結果をそのまま五線譜にすれば全く演奏不可能になってしまった。」などと
言うものでありましたが、>>2氏みたく「ああ、やっぱりそうなんだ」と思いつつ、
正直少しショックでした。
初期でさえこうですから、中期以降は殆んど、「普通の作曲家」だったのでしょう。
もちろん私の憶測ですが。
ただ、これはよく言われていることで既知の通りですが、音楽史のタイミングというか、
クセナキスが処女作を発表した'50年代前半は、トータル・セリエリズムの絶頂期。
その音楽史的背景は無視できないでしょう。ノーノやシュトックハウゼン、ブーレーズら
がいて、ガンガン新作とその音楽理論を発表している。
正に「その時」に登場したことで、クセナキスは注目されたのではないだろうか。
トータル・セリエリストらの理屈の数学的稚拙さと音響的矛盾に、数学者としての
嗅覚でもってハナからその限界を嗅ぎ取った彼は、独自の「武装」をする道を選んだ。
そして、ライバル達に対する彼の異議申し立てと告発の勇気と、
その後の孤軍奮闘ぶりに、音楽史が、そして誰もが異議を唱えることは出来ないだろう。
ただ、余りにも性急にアグレッシヴに武装を急いでしまったがために、
ある時期が過ぎれば当然、>>2氏のような疑問はいつまでもついてまわる。
しかしそれは、時代の急進性と前衛性の成せる業。よって、クセナキスのビヘイビアは
とことん正しかった、と思う。
たとえ彼の「武装」の内実が「ハッタリ数学」だったとしても。
後年‘84年にもなって、ある種「ネタばらし」のようなことをするのにも、
一定の時間の経過が必要だったのかも知れない。
それは、聴衆の誰もが彼の「数学」よりも彼の「音楽」を求めていることを
本人が一番よく知っていたからだろう。
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