何か議論が低調化しつつあるような気がしてならない。

 思い出してみよう。かつて、一部の特権的批評家とそれを利用しつくした商業資本が、いかに我が楽界に犠牲を強いたことか。
 本来、無限の広がりと奥行きのあるこのメディアを、一面的で単純なイメージで塗りたくったことか。
 それは、やはり情報が一元的に発信されたことによるだろう。ほんの数冊の雑誌において述べられているフィクションこそが、真実であるとされたことか。

 しかし、今や、我らは自由な言論の場を有している。しかも、かつてほんの一握りの富裕者か業界関係者しか耳にすることができなかった、多数の演奏・録音に囲まれている。
 言論の権利を有する以上、それを公のために用いる責務もあるはずだ。ただの市井の民がこれほどの発言力を有するのは、歴史をかんがみれば、ほぼ奇跡に近い。
 そうであるのに、この発言の場を、ただ己の快楽の戯れに用いるのみであるならば、人類の歴史に恥じるべきだ。
 自由な言論の剣をもって無限の音世界を拓いてゆこうではないか。

 さしあたって、ほぼ評価の光のあたることのなかったイタリアSQについての、熱い議論を望む。