【講義15】
よっしゃ、講義始めるで。今回はドビュッシーやな。
お前ら、初めてドビュッシー聴いた時、どない思た?ワシは不思議な響きや思たな。
小学生やったけど、「牧神」とか「亜麻色の髪の乙女」聴いて不思議でしゃあなかった。
当時「全音音階」「5音音階」「平行コード進行」言われても分かれへんしな。
ただ、わけ分からんけど、何か引きつけられるんやな。ワシこれが大事や思うねん。
ドビュッシーはマラルメ、ヴェルレーヌの詩を読んで、スパッと音が湧き出たんやろな。
「ペレアスとメリザンド」で、メリザンドが塔の上から長い髪垂らすシーン
あるわな。メーテルリンクの戯曲読んだ時、ドビュッシーの頭の中では
あのシーンの音が鳴ったんちゃうか。それをそのまま譜面にしたんや。
自然も絵も文学も、感じたことをそのまま音で描いた。
そら従来の様式やら規則には合わんわ。ほんで新しい手法を作ったんや。
何度か見たことあんねんけど、「海」のLPCDジャケットやらポスターに葛飾北斎の
ゴッツイ波の奥に富士山見えてる浮世絵使ってるやつあるやろ。
めちゃめちゃセンスないな。北斎の色彩感・写実性とドビュッシーの音色って
全然イメージちゃうわな。どっちかいうたら尾形光琳の紅白梅図屏風やろ。
断っとくが、これはワシの感覚やで。前奏曲集第1巻の「帆」とか映像の
「水に映る影」なんか、「海」よりもっと尾形はんの絵のイメージやな。
ワシ、ドビュッシー聴くのにあんまり予備知識いらんのとちゃうか思う。
むしろ、何も考えんと音に浸る。後は、個々が何を感じるかや。
なんも感じんヤツはドビュッシーに縁はないのとちゃうか。
ほなな、ワシ今からドビュッシーとは正反対の黄昏観に行くわな。