ていうか,そもそもフルトヴェングラーの本質は,録音のみでは語り得ないことは周知の事実
その録音が,ボロボロのモノラルか超最新のデジ録かは本質とは関係ない

よって,フルトヴェングラーの実演を聞き得ない我々は,その形骸の上っ面を論じざるを得ない
無論それが無意味だとは思わないし,第一我々にはそれしか手段はないのだが・・・
それでも,何か感じ取り感動できればそれはそれでよい

その点,録音にある意味での本質があるカラヤンやグールドは後世の人間には楽だ
これは,カラヤンやグールドがフルトヴェングラーより下らんという意味では決してない