まじめな話。
漏れが初めてフィガロを生で見たときの話。
筋は荒唐無稽。台本なんか読んだら噴飯もの。
でも、それでとっても楽しんだ。なぜか。
人間のほぼすべての感情がその荒唐無稽の中に込められていたから。
だから感情移入して、250年以上経った今でも、モーツァルトは
もしかすると存在すら知らなかった東洋人にも、感動を与える
ことができるのだと思う。

つんくが何ほどのものか知らないけれど、比較してもらうには
10年、いやいや250年早い。ということで、sage。

スマソ、みんなわかっていて書かなかったことを書いてしまった。