>某掲示板より。

ムラヴィンスキーの初来日は1973年に実現することになります。
1970年の万博時に初来日を果たしたリヒテルの再来日が突然本人の急病により
無期延期となっしまいました。ソ連当局は前年日ソ友好条約を結んだこともあり、
ここはどうしてもなにか日本の聴衆が納得する代わりをたてなければならない状況になりました。
このため当局は70年には来日を阻止したムラヴィンスキーに、
来日を挙行するという命をくだしました。
こうしてこのコンビの来日は急転直下決定をみることとなりました。
主催の毎日新聞は73年の2月21日の朝刊に社告として告知をだしました。
チケット発売は2日後の23日。
この時日本公演の初日にあたる京都公演まではたった三ヶ月しかありませんでした。
公演プログラムは前年の10月から11月にかけて行われた、
西ドイツ・オーストリア公演を中心に組まれました。
そして来日間近の4/28.29の両日、
本拠地レニングラードではこの来日公演のプロからの曲による演奏会が行われ
(この時のライヴもメロディアから発売されています[一部はビデオ化])、
10日後の5/9に飛行機嫌いのムラヴィンスキーは、
じつに150時間にもわたるシベリア鉄道の旅につきました。
そしてその後ナホトカで後発したオケの面々と合流した後、
バイカル号という客船に乗り継ぎ、
5/18の午後4時に横浜大桟橋に到着しました。
この時ムラヴィンスキーはオケの後から最後に上陸し、
淡いグリーンのコートに身をつつみ、
「約束をはたしにきましたよ」といって笑顔で挨拶をしたそうです。