初めて書込みます。ようやく一段落したようなので。

田中氏の功罪を考えるに当たって、経緯をある程度知らないとわかりにくい
部分があるので、古い話で余り知られていない部分だけ以下に提供します。

田中氏とワセオケとが現在のような関係になったきっかけは、1975年に届いた
「カラヤンコンクール」の招待状にあります。翌1976年のコンクールにへの招聘状でした。
そこでドイツ語のやりとりがしっかり出来る人という事で田中氏に白羽の矢が立った。
勿論ベルリン留学の経験がその根底にはあった筈です。

氏はその時ワセオケに対し、「事はコンクールだ。これに出るからには優勝する事を
念頭に置くかどうかをまず決めるべきである」と確認しています。
対してワセオケは最終的に「優勝する為にいく」という選択をした。田中氏は
それを受けて「勝つ為の体制」を作るべくN響のメンバーからトレーナーを何名か
ピックアップして、ワセオケに連れてきた訳です。勿論音楽監督の山岡氏の合意も
得た上で。

さて、ここにそれまでのワセオケを指導してきた有名なOBがいました。もう物故して
しまった人だが仮にF氏とします。年齢順に言えば山岡>F>田中となりますが、
それぞれ在学中はF氏をつなぎとして重なっていて、それぞれに在学中は功績の
あった人々です。卒業後もワセオケへの指導が続き、以来ワセオケは、山岡・Fの体制で
回っていたと言って良いでしょう。1970年に編まれた「ワセオケ75年史」という冊子が
ありますが、そこに書かれているのはこのふたりとワセオケの歴史に他なりません。

ひとまずここまで。