>>240
>つまりどう感じたかをなど、「私」を主語にしか文章がかけないのは
>ある意味DQNである。

>その理由作品もしくは演奏に求め、
>それを具体的に言語化する作業こそが
> 「批評」に客観的な視点を持ち込みうる。

至極正論だと思うんだけど
自分はむしろそういう客観性は
厳密には成立し得ないとも思ってるのね
その点ではむしろ>>239の言葉遊びってのは分かる

でも人間の感性/美意識/価値観って言葉で触発されたり
啓かれたりする部分もあるわけじゃない?
自分はそこにコミュニケーションの可能性はあると考えるというか

いずれにせよ面白いねこれだけ違う考え方があって
完全にスレ違いだけど