男声合唱あそびスレ II
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0720名無し三等兵
02/06/04 18:06ID:???しかしシンガポール陥落後、現地の治安維持に当たることになったS小隊は、割とヒマになってしまいます。
地域によっては戦後マレー半島を騒がせる共産ゲリラの前身が活動したり、かなり物騒だったようですが、
S小隊が担当した地域は比較的平穏で、住民とも仲良くやっていたそうです。
やがて旧制高校・旧制大学と男声合唱団に所属していたS少尉は、暇を持て余す兵隊達に歌を教えることを思いつきました。
最初は斉唱(全員で同じメロディを歌う)から、そのうちだんだんそれぞれの兵隊の声の高低がわかってきたので、二部合唱、三部合唱と増やしていきました。
楽譜も何もありませんので、曲目は「椰子の実」「荒城の月」といった兵隊でも知っている唱歌が中心、メロディはS少尉が口伝えで教えたそうです。
そうこうするうちに小隊のレパートリーは十数曲に増え(その中には「埴生の宿」もあったそうです。)、連隊の演芸会や地元の住民の前で演奏することも頻繁にあったと か。
陸軍といえば、隊内での人間関係がややこしかったことでも悪名高いのですが、S小隊は音楽のおかげで極めて和やかな雰囲気を保っていたそうです。
戦後も小隊の下士官・兵はS氏を慕って集まり、戦友会の最後は必ず「小隊長殿の指揮で歌おうじゃないか」ということになり、S氏が割り箸で指揮をするのが恒例だったそ うです。
S氏は戦後経営者として成功され、私が学生時代に所属していた男声合唱団のOB会長を長年務めておられましたが、平成になってまもなく、私が大学3年の時に亡くなられ ました。
このポストは、S氏が昭和50年代にとある雑誌に投稿した記事をもとにしています。
なお、念のため書き添えますが。S氏と「ビルマの竪琴」の著者竹山道雄との関係は定かではありません。一応卒業した大学は同じなのですが、年はかなり離れています。
私も一度だけS元・少尉にお会いしたことがありますが、戦場でも音楽を忘れなかっただけあって、とても品の良い温厚な紳士でした。合掌
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています