「ジャズ・オーケストラ」も、彼が当時滞在していたアメリカで聞かせたところ
好評だったと本人が書いていた。
交響的変容第三部も、カーネギーで拍手かっさいだった。水野の音楽がアメリカ的
だというよりも、アメリカには、イーストマン楽派のような、水野の音楽を
受け入れる環境がもともと存在していのである。