>601の続き
だから、彼のあのコンサートでは初めから在る透明な
建築物を観客に感じさせるべく、時に魔法使いのごとく
尊大で、時に顔をしかめながら手を指揮棒を振り回し、
観客を煙に巻く多くの指揮者の姿、音とは異なる姿、
音が生まれ出た。小沢は同じ曲に同じ楽譜に別の音の
環境の息を吹きかけようと試みたのである。彼は沈黙
の中にその音の生まれる瞬間に半身を沈ませ、屈みこみ、
他の半身を聴衆に向かって感動への共振を求め、東洋の
哲人の微笑みと仕種を贈った。

この深い彼のたくらみを理解出来ない地元紙の賞賛
の文章は外に現れた彼の半身しか見ていない。ただ、
賞賛の影に別の見方が隠されているのを私としては
見のがすことが出来ないのだが。

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はい、サンプルでした。ああ、疲れた。今度はごっつい
反論書くぞ〜とは思わないので御安心あれ(^0^)