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0840名無しの笛の踊り
NGNG例えば、ミュージックコンクレートと従来の音楽とを止揚(どんなだw)させた音楽を作ろうとした場合、
それでもオケサウンド自体は生演奏を使用すべきなのかどうか。
それとも、生演奏の場で具体音や編集音をコラボレートさせてやるべきなのか。
もはや生演奏でなければいけない理由というものは、作者(作品)に帰されるのではないか。
もし、そういった発想、実行自体がその表現者の芸術として認められるようなものならば、
「生オケでのこういう操作は困難で理想と遠いから」との理由で精巧な打ち込みオケが利用されることを
否定しきれない気がする。
もっとも、そのときの再現(再生)環境がどういうものになるかは判らん。
グールドみたく、個人が聴くことを望んだとすればそれはCDとかのメディアだね。
片や「演奏家による“音楽的表現の意思”が必要だと感じたので、敢えて生オケにお願いする」とかも
当然考えられる。
つまり、一技術(道具)として洗練されていくことで、代替物以上の役割を果たす領域が発見されるのでは
とも思うわけ。
以上、ちょっと思考実験。
ちなみにこの文脈で行くと「涅槃交響曲」はどういう曲だったのか…。
あれは梵鐘の音とオケとの止揚なのかなあ?
つい「本物の鐘を突いてろよ」とか言ってみたくなったりして。(w いや、冗談。
まあ、黛も「真の芸術作品とは<無>に到達すべく投じられた物体でなければならない」
と言ってたことだし、何が無意味で何がどうだかは分からん…。
クラに関わっている人達って、そういう創造性に関してはどういう見解を持っているのでしょう。
クラ板の人は「“人間”が行い得る崇高な(精神)活動としての音楽」という視点で生演奏に接するに対して、
DTM板の人は「“理想に対する模倣”における目標“物”」という視点で生演奏に接している…とか。
まあ、こういう感じだとしたら怒りたくもなるわな。
折れも怒るよ。
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