>>757
ウィーン楽友協会のEhrenmitgliedはウィーンに関係の深い偉大な音楽家に与えられる称号ですので、
偉大な音楽家でもウィーンに関係が深くなかったら称号が与えられないということだと思います。
ローベルトは29歳(1839年)のときにウィーンに一年弱滞在していますが、ウィーンでの
音楽新聞発行の企てに失敗してすごすごライプツィヒに引き下がっています。
一方クララは18歳(1837年)でピアニストとしてウィーンで大成功を収めていますから、
ローベルトより先にウィーンで成功していることになります。
このときのクララの成功はセンセーショナルなもので、クララヴィークトルテというお菓子が
今でもあるくらいですから、その様子が伺われます。独身時代にウィーンに演奏旅行にきたのは
その一回だけで、その後8回はシューマン夫人であったのにも関わらず、トルテの名前は
「クララヴィーク」トルテなのですね〜。 
  …という説明でいいかと思います。