作曲家・三枝成彰について(作品限定)
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NGNG売れる売れないの結果はともかく、大量複製し広く頒布したいという「欲求」は、一方で音楽家の自己表出・
自己実現・自己顕示としてのそれであり、一方でレコード会社の売上・利益の追求なわけで、そこで互いの
利害が合致しているわけデショ?
売ることを前提にパッケージ・メディアに「作品」を固定し頒布した段階で、作品の内容を問わず「産業」界を
巡るベルトコンベアに乗ります。
それは、音楽家が好むと好まざるとに係わらず、「大衆」(多数の人々)に向けて放たれてしまう瞬間でもある。
そこが「ロック」(ポピュラー全般)が「大衆」的であると考える根拠です。
「産業」を通じての「大衆」との連結が、ロック(ポピュラー)には半ば宿命的にあるのですが、現代音楽は、
大衆を相手にはしても、「産業」まで巻き込むほどの力もポピュラリティもありません。
三枝は、作品の内容が「高踏」であるとか「大衆」向きであるとかが問題なのではなくて、「産業」に向けて放た
れたロックと、「産業」とは一線を画す現代音楽とでは、違う公転軌道を描く惑星のように交わることは無いと
結論づけたとオモワレルマス。(ごくたまにクロスする可能性はあるわけだ)
もちろん、”あるロック”の「高踏性」に気づき、現代音楽との横断をいとも簡単にしてしまう輩もいるわけで
(漏れもそうだし、81さんもそうでっしゃろ?)、三枝はそういう聴衆を多く獲得できると信じて「ラジエーション・
ミサ」を作曲したわけだが、所詮マイノリティなんですわ、我々は(一緒にしてスマソ!)。
ロックと現代音楽、この両者の持つ精神性やスタイルを用い、双方を繋ぐことはメチエとしては可能だが、
もともと別々に軌道を描く両者が一つになることは無い、ということに三枝は気づいたということでしょう。
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