ヴァルキユレ
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0518名無しの笛の踊り
02/04/02 11:33ID:???それは細部の問題だと思う。
ワーグナーのト書きに忠実という意味は単純に一言一句その通りに視覚化させる
という意味ではなく、その意味する所に忠実従った結果ああいう演出になった
とい事だ。
まさかフリッカが二頭の山羊に曳かれた車で登場する訳にもいかないのだから。
<去勢>(というよりハラキリに見えたが)アルベリッヒの<愛の断念>を
誰にでも分る様に視覚化させるわけだし、ワーグナーの台本自身の矛盾を上手く
場面で解決している。
あまりに多いのでイチイチ書ききれないが、例えば「ライン」でアルベリッヒ
にもう既にハーゲンの母とおぼしき愛人(?)が居る点。
ヴォータンのセリフの中で「黄金の力にモノをいわせて女性を手に入れた」と
あるが、肝心の黄金は身代金として総て使っているので(しかも指輪は失っている)
ので金など持っていないはず。
しかもその女性をミーメと浮気させることでハーゲンがアルベリッヒの息子でなく
ミーメの息子であると匂わせていて、これは秀逸なアイデアだと思う。
なぜならジークフリート自身ジークリンデとジークムントの間の子供じゃなくて
本当はフンディングの息子かも知れないからだ(あくまで可能性として)。
この事で英雄ジークフリートと悪のハーゲンの相似性がさらに高まり、観客に二人を
シャドウとして意識させられるし、ジークフリート殺しも単純に指輪目当てというより
実の父ミーメへの敵討ちという意味合いも持たせられる。
長くなったがワーグナーのト書きに全く従った部分では「君こそは春」の直前の部分、
<大きな扉が突然開く>とあるが、幾ら何でも夜中に鍵くらいかけているだろうし
風くらいで、開く訳が無い。
ここではウォーナーの演出ではヴォータンの差し金である事を強調していて、
二人の出会い自体も出会っただけで不自然にも一目ぼれするのも、
全てヴォータンの計画だという事を示唆している。
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