吉松の叙情性とやらを評価することと、
彼の音楽に関する言説が厨房の戯れ言みたいだ、と指摘することと、
一体どういう関係があるのかね?

意見に馴染める馴染めないの問題では無く、事実を事実として見据えるか
否かの問題だと思うが。

それとも、吉松みたいな作風の作曲家は、「シベリウスが筆を折ったのは、
ゲンダイオンガクのせいだ」みたいな噴飯モノの主張を活字にしても許さ
れるというのか?