>>147
クレンペラーの音楽は、やはり両大戦間のワイマール文化にその根があると思う。
ベルリン時代のクレンペラ−の古い録音を集めたCDを聴くと、本質的には音楽に
粘りはほとんどない。むしろ無造作なまでに音楽を提示している感がある。
この時代の彼の録音にあっては、音楽は硬質に提示され、素材に全てを委ねたかの
ようだ。 写真で見るクロルオーパーでの演出と、そこで指揮していたクレンペラ−
の音楽との間に違和感はない。

戦後の、遅いテンポの音楽の背後に精神を感じさせる、という聴き方はむしろ聴き手
の想像力の産物では? こういう聴き手の受け取り方はクレンペラ−の音楽の属性
ではなくむしろ、そういうふうに聴きたい、という(一部)ファンの願望だと思う。
仮にそういう聴き方をしたとして、それでも十分にその期待に応えているクレンペラ−
の音楽はさすがだとは思うがあくまでもその本質とは異なると感じる。クレンペラ−
は通常で言うところの審美主義者ではないから、こういう聴き方も許されるのは当然
といえば当然かもしれないが。

クレンペラ−はやはりモダニストだというのが本質だと思う。 だから、戦後の演奏
でアダージョが相対的に速いというのは、そのモダニストとしての本質が発揮され
ているためであると理解する。アレグロが遅く感じられるというのは、これはドイツ人
指揮者に比較的多くある(全部ではない)傾向であると同時に、年齢とか肉体的な
問題点が出てきてしまったものと理解する。

以上、多くのクレンペラ−ファンとは異なる意見を持つファンよりの一言。