ここでいう家柄に疑問です。

例の最大流派にしても、元は堺あたりの冒険商人ないし倉庫業、
その師匠にしても、当時の軍事産業の元締めとされています。

この弟子筋の武家流派も、現在の警備業者ないし地方の開拓地主などの出身です。
その後の近代に至る流れは色々ありますが、それぞれ「家柄」を自慢などするような
風には見えませんし、ご当人もそんなつもりはないでしょう。

そもそも「茶の湯」は和漢の境をまぎらかす、身分を超え無差別、
一味同心を目指したもんでしょう。
それをどこかの取り巻きがわいわいと「家柄」などいい出すのは迷惑でしょうし、
お茶の精神ではありませんね。