スレ違いですがついでに・・・

M型ライカの登場が与えた影響として見落とされがちなことに・・・
ライカはコンパクトである、という規範をライツ社自らが外してしまったこ
とが挙げられます。
これでオスカーバルナックがわざわざシネカメラ用フィルムを流用してまで
コンパクトなカメラを作ったことの意味が、すっかり失われてしまったので
す。

それまでのドイツ初級〜中級カメラは、ライカ判の機体はコンパクトなもの
が多かったのです。もちろん高級機としてのコンタックスの存在はありまし
たが、他方にライカがあったため、コンパクトであることの良さが業界全体
できちんと認識されていた。なにせコンタックスでさえ西側に逃亡したチー
ムが再設計した改良型は、より以上の機能の追及ではなくてコンパクト化を
目指した程です。つまりツアイスでさえコンタックスの大きさを「欠点」と
して認識していたということなのです。

それがM型の登場によって、大きく変わってしまいました。
機能の向上の為には「大きくてもいいんだ」ということをライツ社自らが
示してしまったのです。
結果としてドイツのライカ判カメラ全体に、大型化の並が押し寄せました。
蛇腹畳み込みのレチナでさえもが大型化し採光式ブライトフレームを搭載す
る始末。固定鏡胴の機種においてはなおさらのことでした。そしてその流れ
は、ローライ35が登場してコンパクトであることの素晴らしさを改めて詠
うまで続きました。
そのM型ライカが作った「大きくてもいいんだ」という風潮は、メーカーの
みならずユーザーたちへも浸透してゆき、そして、小型化の難しいライカ判
SLRがユーザーたちに抵抗なく受け入れられる下地ともなっていったので
はないでしょうか・・・。