批評理論スレッド
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0001名無しさん
NGNGまずは「テクスト」というとらえかたについて
議論しましょー!!
0002というような議論や遊びを
NGNG忘れ去られてしまったとさ。(とりあえず、言ってみただけ)
0003ホイジンガー
NGNG0004唯野教授
NGNG0005おお、これスレッド自体が
NGNG実際のところ、2CH上でテクスト論は遠慮しますが
この2CH自体、そして各スレッド自体が、ものすごく
その気で読めば、おもしろいものになっていってる。
常に流れていって、着地点がなく、固定して読みとられる
Kとを拒否するかのごとく。
0006おおこのスレッド自身が
NGNG実際のところ、2CH上でのテクスト論は遠慮しますが
この2CH自体が、常に生成し流れ消えていきの中で
ものすごくおもしろいものになっていると思いますが
如何? そういうものを、既存の理論にとらわれずに
(知識自慢せずにね)やるんだったら、つきあいたい。
0007>6
NGNG0008>7
NGNGってこれオモロイか?
0009素朴な疑問
NGNG00106>7
NGNG思ってるんでしょう?(にやにや)
「投影性同一視」ってやつでしょうねぇ。(にやにや)わはは。
0011>9
NGNGそれはテキスト。
作者の意図とは別にこれはこんな風にも読める、こんな風にも解釈
できると、いろんな知的技法であつかってみる場合、テクスト。
0012>11
NGNG0013>12
NGNG英語text@`仏語texteは、元の意味はほぼ同じに使われていると思う。
日本語ではtext-bookが省略されて、テキストというと教科書の
和製英語みたくなっている。
バルトとかの英訳本で哲学用語としてのtexteがなんと訳されているか、
知らないです。(生兵法はいかんな)
0014名無しさん
NGNGできると、いろんな知的技法であつかってみる場合、テクスト
おいおい。いい加減なこと書くなよ
あと、8.お前、何いってるの?
テクストは、テクスチャ(織物)。文化の織物。
作者のコードは神の声ではなく、一本の糸。
それが、テクスト。
テキストは英語。テクストはフランス語。その違いだけ。
イーグルトンはバルトの「テクスト」を「テキスト」って
訳してるよ。
001511>14
NGNGああ、きっとそう言われると思ったよ(^^)
それじゃ代わりに語源の説明でもなく、専門用語の羅列でもなく
(バルトやクリステバの定義や概念を丸写しするんじゃないぞ)
初めての人にもテクスト論がわかるように簡単に説明してくんろ。
哲学事典や哲学入門の本を参照するんじゃないぞ。
ちゃんと自分の言葉で簡潔に言ってみてよね。遠慮はいらない(笑)
0016>14
NGNG語源も、chorde(ギ)とcodex(ラ)でちがうよ。
作者の「コード」で遊んだのだとすれば、面白くない。
「テクスト」ってのは、機織機械みたいなもんでしょ?
意味を紡ぎ出すもの、で、過去や現在の部品から出来ているもの。
簡単な日常レベルから、夢の論理まで、いろんな機械はあるけど、
ひっくるめて意味を縦にも横にも透かしても読みこめるような
織物を作り出すものが「テキスト」。織られたもんだけ指すんなら、
それは「作品」。バルトに怒られるよ。
イーグルトンは、まとめは上手だよね。まとめは。
0017bato
NGNG他に批評理論知らないの?
平野謙、江藤淳、柄谷行人、点点
私小説的評論、マルクス主義的評論、イメージ論的評論、印象批評
的評論、神話学的評論、点点。
項目並べるだけでもこの2倍、いや、3倍ぐらいあるはずだよ。
0018正直に言うが
NGNGこの人らと同じ時代を背負ってからかねぇ。
14さん、返事はどうした?
001916
NGNG現実行動での挫折や断念から、作家の創造=行動力は生まれ、
また、読み手に主体的時間を生きさせるような文体を生み出して、
作家は行動する。
あとは、自然のアナロジーとしての「母」の戦後社会での崩壊。
また、行動者、成熟の不在という切り口で、山崎正和もなかなか。
小林秀雄は、『本居宣長』ではソシュール踏まえた「構造主義的
歴史観」へと傾いていったけど、中期あたりの「魂・孤独・純粋」
なんて言葉を使いまくる〈反=言葉〉への傾向が面白い。
>17さん
「テクスト」が、使いやすくて面白いからでしょう、きっと。
N・フライの神話学批評とかは「原型」が結局「解釈のふるい」だ
なんて言いきられるし、マルクス主義に至っては経済機構や社会
通念を丹念に調べようなんていう殊勝な輩がいなくなってきた…。
せめて、小林秀雄と夏目漱石ぐらい読んでもいいと思うけど、
古臭いし、カッコよくないのかな?
だいたい、ヴァレリーの『文学論』にも、すでにテクスト批評の萌芽
はあるというのに…
「文章法(サンタックス)は魂の能力だ。」
0020吉本隆明が
NGNG彼は結局「文芸」の人だったのか?とか思ったりします。
0021某
NGNG年取るにつれ文芸家。<吉本氏
0022>19
NGNG小説を書くと言うことが不可能になるのでは?
0023>22
NGNG晩年の小林は美術品、骨董品の鑑定家みたいなものだったし、
江藤も政治家へのご意見番に終わったような気がするな。
002422>23
NGNG0025uma
NGNGで、結局、「テキスト」と「テクスト」の違いって何なの?
16さんのでいいのかな?
0026>25
NGNGただそれで間違ったと思ったことはないです。
2さんは、ブームは終わったと言いますが
模型雑誌の記事にさえ『text』なる言葉がでて来ます。
私としては「原文」でイイのじゃないかと思います。
0027「作品」と「テクスト」
NGNG枠づけられており、読者は、その作者の言いたかった事、主張したかっ
た事を享受するだけの存在にすぎない。「作者」だけが生産者であり、
読者は消費者なのである。「作品」においては、生産者である作者が、
記号表現を通して伝えようとしていた記号内容が重要なのであり、たっ
た一つの記号内容だけが、記号表現から読み取られるのである。
このような「作品」と言う考え方に対して、「テクスト」とは、まず
何よりも複数性の場である。「テクスト」の原義は「織物」であるが、
一枚の布が縦糸と横糸の交錯によって織り出されるように「テクスト」
は多様な要素の錯綜体としてあらわれている。「テクスト」は先行、同
時代の諸テクストの引用の織物であり、範列(パラディグム)と連辞(
シンタグム)の交錯であり、諸コードの相互変換の場であり、異なる言
葉の対話の場であり、何よりも自らが諸テクストの錯綜体であるところ
の読者が関わる事によって、意味が生産される動的な場なのである。
0028う〜ん
NGNG平たく言っちゃえば、作品に対する固定観念を打破し、自由な批評
空間を生み出せ、ということじゃないかな。フランスのように自国の
文化や言語について保守的な国では、どうしても作品理解も硬直しが
ちなので、バルト等の「新批評」人の登場は当然のことと思う。
それを日本の風土にそのまま持ちこんで「テクスト」を乱発する人
もいるようですが、ちょっとフランスかぶれという気がするけどどう
なんだろ? 例えば、「姥捨て山」伝説を逆手に取って、深沢七郎が
「楢山節考」を書いたが、あれなんかは作家が創作の形で「テクスト」
を紡いだようなもんじゃない。
日本に「テクスト」と呼べるような歴史的文化的背景を重く抱えた
作品て、無いんじゃない? ちょっと挑発的かな?
0029>28
NGNG0030う〜ん
NGNG確か、堺屋太一も経済学的視点からの忠臣蔵の脚本を書いたことが
ある。評判は悪かったけど。
0031>28
NGNG0032う〜ん
NGNGんじゃないかな。一発で当人の批評能力が分かるというからね。
柄谷とか浅田とか書いたことあるのかな?
0033>32
NGNGまた、書いても面白いものはかけないでしょ。
0034http
NGNG批評の衰退はそのまま文学、というより、批評の衰退なんだろう。
最近、面白い批評ってあります?
0035高橋英夫
NGNG0036>34
NGNG批評にエロスがないのはそのためです。
0037>36
NGNG0038名無しさん
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