かつて、東京・新宿という街のいかがわしさに身を置くのが、嫌いではない時期があった。それが、次第にわずらわしくなり、足を向けることがなくなって随分とたつ。その新宿の代名詞のひとつ、歌舞伎町をして、「其処(そこ)はあたしの庭」と歌ったのは、椎名林檎。新宿系自作自演屋と称し、いまや、テレビのワイドショーが好んで取り上げる話題の人である。三月末に発売されたアルバム「勝訴ストリップ」に至っては、二百万枚に達しようかという勢いだ。
 「新宿系」とわざわざ冠するのは、若者の都市文化としてもてはやされた「渋谷系」に対する意識があるのかもしれないし、そうではないのかもしれない。ともあれ、彼女の歌は、もはや非日常としてしか成り立たない、と思われていたのに、実は現実として転がっていた日常を、強引に引っ張り出したような歌だ。暴力とか猥雑とか、血なまぐさいものがつきまとい、一見、奇抜に映るが、突き詰めると描かれている世界は、ちまたに氾濫するポップスと大差はない。
 ただ、その中にあって彼女は、言葉の引き出しにせよ、その歌の表情や演奏にせよ、表現に対する発想がすこぶる大胆にして真摯。普段歌を生業とする人たちが、知らず知らずのうちに表現の可能性を狭め、結果として、日常と向き合うはずが日常に寄りかかるような歌を量産する中で、彼女は表現のあり方にこそ意義を突きつける。そこでの熾烈な闘いこそが、彼女の歌に緊張をもたらしているのではないか。
 その椎名林檎のコンサートに、先だって足を運んだ。病院の手術室を思わせるステージ、彼女の真っ白な服に真っ赤な血が映える。「本能」や「罪と罰」等々を、無駄なおしゃべりなど交えずに歌いきっていく。熱をおびればおびるほど冷たく光る氷の刀、とでも呼ぶべきたたずまい。見事な演出力である。巻き舌でこぶしをきかす歌い方を含めて、それが度を越すと興ざめする瞬間があるが、むしろ、そこに二一歳という若さを見て、ぼくなんぞはほっとさせられる。
『天辰保文の音楽アラカルト/北海道新聞2000年5月1日』