記憶の容器もそうだけど原作では所々でモノローグとかシリアスな台詞が標準語混じりになるんだよな
監督もだがこうのさんも細かい拘りというかちゃんとした理由があってそうしてるんだと思うんだが
ところで、爆風に乗って板塀の向こう側に飛び込む、って発想は時代的に妥当なのかね?
何か近年のハリウッドアクション見てるみたいだな、って思ったんだが
ちなみに余談だが、向こうの実験番組で検証したら実際はそんな事不可能らしい