青葉はレイテ沖海戦早期に雷撃を受け大損傷。 ようやく呉に帰投するも
本格的な修理は断念されて係留。

3月の空襲後には第4予備艦に指定だから、艦に残っていた乗員は定数の2割程度。
対空兵装の多くも陸揚げして転用。
偽装のため木を艦に植えたり、陸との間に網を張ったりしたが米軍は事前の偵察でお見通し。
「艦の植木が枯れていますよ」と揶揄するビラが投下されたりと。

こういう状況だから、哲も45年7月28日の青葉の最期まで乗艦していた可能性は
薄いだろう。