前年の大魔境のリメイクが良かったので、今作にはがっかりさせられました。
ストーリーが盛り上がりに欠け、内容が薄いというのが一番の理由です。
今作ではまず、のび太達がピンチになるという状況がほとんどありません。
ほとんどの劇場版ドラえもんでは、何かしら道具の使用に制限がかかる、別次元や別世界に来てしまったところで道具が壊れて元の世界に戻れなくなる,
敵やハプニング(隕石などの自然災害)が強大すぎて道具だけでは対処しきれない、などという危機的状況パターンのどれかが発生します。
上記に当てはめることが難しい作品は、創世日記やねじまき都市のように、かなり評価が分かれる作品が多いです。
これら危機的状況の薄い作品は駄作というわけではないですが、確かに盛り上がりに欠けます。
今作は残念ながら、私の中ではその盛り上がりに欠ける、という作品の一つに分類されてしまいました。
ドラえもんはすべての道具を使える状況ですので、のび太達は全員無敵状態。
そのためせっかく「ヒーロー」という戦いありきの設定がコンセプトであるにもかかわらず、戦闘シーンは終始短く、あっさりとしたものになってしまっています。
旧作の創世日記やねじまき都市が盛り上がりに欠けるのは、ストーリーのコンセプトが冒険というよりは知識的・道徳的なものだったからですよね。今作はもっと冒険活劇の要素を入れることができたのでは?
地球に帰れなくなったわけでもないですし、ラスボスは最後まで完全態ではないので怖くなく、大騒ぎした割には隕石もあっさり止まって元どおり。
どうしよう!どうしても戦わなければ日本に帰れない!相手を倒さなければ地球が破滅する!といったこれまでの冒険譚と違い、
終始観光気分で、遭遇した大して強くもない敵を適当に倒した、みたいな物凄く軽い感じが否めません。
ヒーロー達の葛藤もなく、敵の邪悪さもあまり描かれず、頼ってきたエイリアンとの交流も薄い。シリアスさも感動も爽快さもありません。
ヒーローバッジの力に制限をつけるとか、ヒーローバッジの力では対抗できないくらいに敵をもっと強くするとか、
もうヒーローバッジなんて新しい道具を出さずに有名な既存の道具だけを機転を利かせながら使っていく、とか色々と工夫できたはずです。
「ギャラクシークエスト」という、今作と同じように映画の俳優が本物のヒーローと勘違いされ、
侵略を受けているエイリアンに助けを求められ仕方なく戦うことになる、というストーリーの洋画があります。
おそらく本作はこのギャラクシークエストをかなり意識して作られているのでしょう。
ストーリー展開から時間を巻き戻すという概念まで、ギャラクシークエストそのまんまです。
もちろん、そのことを批判するつもりはありません。
しかし、オマージュだとしても、ギャラクシークエストがB級という位置付けながら丁寧に作られており、笑いと感動をもたらしてくれる良作なので、
どうしても今作が「ギャラクシークエストの劣化版」に見えてしまうのです。
子供向け映画だから、海外ヒーロー映画のような複雑でシリアスなストーリーは求められていないとスタッフは思っているのでしょうか?
私は、藤子先生はドラえもんの劇場版(つまり大長編)では、楽しい冒険活劇を描きつつ、一見残酷ではないけれども一定のシリアスさや恐ろしさ、
「死」を暗示させる要素をストーリーの中に組み込んでいたように思うのです。
天上世界の人たちを見殺しにできないと雲もどしガスのタンクに突っ込んでいった雲の王国でのドラえもん、大人の凶悪ガンマンと本気の射撃勝負をした宇宙開拓史ののび太、
自らが囮になると一人で敵の本拠地に乗り込んでいった海底鬼岩城でのしずかちゃん、身を張って友人を助けようと戦火の中を歩く大魔境のジャイアン、
怖い怖いと言いながらも戦車で独裁者の軍と戦った宇宙小戦争のスネ夫...
私には道具を使っていない彼らの方が、よっぽどカッコいいヒーローに見えます。
彼らは大人だって逃げ出したくなるような過酷な状況に放り込まれ、幼く未熟ながらも自分の力で戦おうとします。
その活躍の上では、ひみつ道具はただの添え物でしかありません。
普段は普通の子供であるのび太達が、いつもは隠れている勇気を出してヒーローになる。ドラえもん映画はそういったコンセプトもあったのではないでしょうか?
「ドラえもんならではのヒーロー像」が描かれていなかったのが本作で一番残念な点です。
水田わさびに声優交代してから10年、隔年ごとに過去作リメイクとオリジナル新作の順で公開しているので毎作チェックしているのですが、
アニマルアドベンチャー、ひみつ道具ミュージアムときて、今回の宇宙英雄記。正直駄作です。TV2時間スペシャルならまだ見れますが、劇場作と呼ぶには到底及ばない出来だと思います。