かぐや姫の物語 16
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0087見ろ!名無しがゴミのようだ!
2013/12/24(火) 01:01:32.56ID:EYitH7sj風立ちぬは駄作だとか、かぐや姫は竹取物語そのまんまとか
批判する人たちは、映画の楽しみ方の幅が狭いのではないかと感じる。
映画に、起承転結がはっきりしたストーリーは、必ずしも必要ではないし、
登場人物に感情移入できるかどうかでいい映画かどうかが決まるものでもない。
映画とは、あくまで映像と音からなるシーンがいくつも積み重なったもので、
ストーリーが完全破綻していようが、登場人物の思考が全く理解できなかろうが、
成立するものだ。そんな映画であっても、シーンの一つ一つをじっくり味わうことで
映画を楽しむことは十分可能だ。
例えば、かぐや姫がバッタを離したあと、髪をまとめるシーンがある。
髪の質感や手つきの表現が素晴らしくないだろうか?
私はストーリとは関係なく、このシーンを眺めるだけで極上の時間を過ごせますね。
しかし、なぜ髪を結う「だけ」のシーンを高畑監督はわざわざいれたのだろうか?
(これは私個人の解釈だが)バッタを放すときの子供っぽい雰囲気から転じて、
髪を慣れた手つきでまとめるのは女っぽい。おそらく
心はまだ子供なのに、周りからは女と振る舞うことを求められているかぐやの
苦しみを暗示しているのだろう。
それを思うと、髪を結うときの無表情さが痛々しくも感じられる。
たった1シーンだけでこれだけ楽しめるのだから、全てのシーンについて、
画面の隅から隅までしっかり見て、その美しさをじっくり味わったり、
その場面の全体での位置づけについていろいろ考えをめぐらせば、
本当に充実した時間を過ごすことができると思う。
それは風立ちぬでも同様だと私は思いますね。例えば菜穂子が療養所を抜けて
一人雪原を歩いている「だけ」のシーンに、私はとても心を打たれました。
ストーリや会話ばかりを追う人は、
映像と音の全体から得られる、膨大な情報の多くを
見過ごしてしまっていると思う。それはとてももったいないと思う。
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