二郎の同僚は、「仕事に打ち込むために結婚するんだよ。これも矛盾」とかいう意味の事を
二郎とシベリア食いながら言ってただろう。あの発言は特に変わった考えではなくて、当時のかなり普通の認識だったんだよ。
当時の男は仕事に打ち込むために所帯を構えるというのが普通だったの。極論すれば女房は家庭用備品みたいなものだな。
だから「愛こそ全て」みたいな考えを通すのは、当時としてはエゴなんだよ。そういう非常識な事が通るお話が(当時の)恋愛文学
だったわけ。そんな時代に死病感染のリスクがあって仕事に支障が出る可能性があり、また寿命も短く実を結ばない
(恐らく菜穂子は子を生めないだろう)婚姻を敢行するってのは、エゴ以外の何者でもないという認識だったのではなかろうか。